アゥラフォスの陶芸工房。
古びて見えるのではなく、古くからあるように感じられること。静かで、正確で、粗い材料からできていること——土、火、手、そして繰り返しです。
Studio Esja は、アイスランド、モスフェットルスバイルのアゥラフォスにある陶芸工房です。私たちは陶工で、ここにあるものはすべて轆轤で挽き、工房で釉を掛けて焼き、一点ずつ仕上げています。この名で仕事を続けているのは2025年からです。このページは、この仕事がどこで、どのように作られ、何を基準に測られているかの記録です。

仕事が生まれる場所。
アゥラフォスは、レイキャビクから北へ二十分ほど、モスフェットルスバイルにある、工場とともにできた古い集落です。川と、その名の由来になった滝のまわりに寄り集まっています。長いあいだ仕事の村でした——土の前は羊毛の仕事です——そして、眺めるためではなく、ものを作るために建てられた場所に特有の静けさを、いまも保っています。
工房はその静けさのなか、Studio Esja という名のもとになった山のふもとにあります。エスヤ山は一日のうちに色を変え、天気によっては姿ごと消えてしまいます。晴れた朝にまず目に入るのはこの山で、ここの光が二度と同じにならないのも、この山のためです。器を撮るのはその光のなかです。そして、より肝心なことに、器を見極めるのもその光のなかです。
工房の見学は予約制です。公開している所在地はモスフェットルスバイルのアゥラフォスまでで、工房の正確な住所は、見学またはお引き取りのお約束が決まった時点でお伝えします。
夜のクラスを担当する Matiass Preiss は自身の陶器も制作しており、その作品とお手入れの案内、作品登録は matiasspreiss.com にあります。



組み立てるのではなく、挽く。
どの器も、回る轆轤の上のひとかたまりの土から始まります。かたちはひと息に引き上げ、冷えた林檎ほどの硬さに締まったところで削り、あとは手を加えません。鋳込んだ器も、型で抜いた器も、よそから仕入れて絵付けしただけの器も、ここにはありません。
轆轤の上では、ごまかしがききません。ひと息に引き上げた壁は、自分の力で立つか、へたるかのどちらかです。同じ土から削り出した高台は、器をすっと持ち上げるか、重く沈ませるかのどちらかです。あとから何を足しても、そのどちらであるかは隠せません。だから工房は、器が使われる場所で判断します。手に取ったときの重さ、満たしたときの釣り合い、口縁が唇に触れる具合。そこで持ちこたえるものだけを残します。
「轆轤の上では、手の動きのひとつひとつが土に残る。」
窯もそれを留める。だから、ここでは何ひとつ急いで挽かない。




粗い材料、正確な熱。
素地は炻器です。高温で焼き締めてあり、熱を保てるほど緻密で、ガラスケースにしまっておくのではなく、毎日使うためのものです。釉薬は工房で鉱物原料から調合し、仕上げる器に近づける前に、どれも少量ずつ試しています。
焼成で、工房の制御は終わります。窯を詰め、焼成の工程を手で組んだら、そこから先は熱と時間のものになります。意図した以上の姿で出てくる器もあります。割って、土に戻す器もあります。

この工房がつくるもの。
カップ、湯呑、鉢、抹茶碗。日々の小さなかたちを、きちんとつくること。惹かれているのは日本の器の釣り合いです——力の入っていない線、あとから付け足したのではなく、かたちの一部である高台——それを、アイスランドの光と天気に向き合わせています。どちらも、たいていの土地より装飾に容赦がありません。
作品は轆轤で挽いた炻器で、結晶釉と貫入釉。短い連作としてつくり、一点ずつ仕上げます。仕上がったものはすべて一点物です。高台に銘を入れ、番号を付し、工房の作品登録に記載します——器とともに残る、来歴の恒久的な記録です。




なぜ、どれも一点物なのか。
結晶釉は装飾ではなく、出来事です。亜鉛と珪素を多く含む釉を熔ける寸前まで上げ、結晶が芽を出して表面に広がる狭い温度帯で、ときに何時間も保ちます。結晶は、育つところに育ちます。置くことも、描くことも、繰り返させることもできません。
貫入の釉は、同じ物理のもう一方の際で働きます。釉と土の収縮率をわずかにずらして選ぶため、冷めていくあいだに表面が細かい線の網に割れます——その日、その窯での、ただ一度の冷却の地図です。