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    <title>Studio Esja — ジャーナル</title>
    <link>https://studioesja.com/ja/journal/</link>
    <description>手仕事の陶芸、轆轤、釉薬、そしてアイスランドの工房での日々について。</description>
    <language>ja</language>
    <lastBuildDate>Mon, 13 Jul 2026 12:00:00 GMT</lastBuildDate>
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    <item>
      <title>「上質な陶器」とは何か — 正直な答え</title>
      <link>https://studioesja.com/ja/journal/what-makes-ceramics-high-end/</link>
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      <pubDate>Mon, 13 Jul 2026 12:00:00 GMT</pubDate>
      <dc:creator>Studio Esja</dc:creator>
      <description><![CDATA[<p>「上質」という言葉は、ただ高価なだけの器にもよく付いています。工房の内側から見ると、この言葉はもっと具体的で、確かめられる何かを指しています。</p><p>「上質」という言い回しには用心しています。値段が高くて写真がよければ何にでも付きますし、焼きものにはその両方が溢れています。それでも工房に手紙をくださる方がこの言葉を使うのには、理由があります。感じ取れている違いに名前をつけようとしているのです。ただ高いだけの器と、手に取った瞬間に自分を説明してしまう器との違いに。その違いは実在しますし、正確に書くことができます。</p><p>ですからこれは、売る人ではなく作る人としての、私たちの正直な答えです。もっと長く、落ち着いた形では<a href="https://studioesja.com/ja/high-end-ceramics/">上質な陶器の手引き</a>に書きました。こちらは工房の床の上からの話です。</p><h2>値段は物差しになりません</h2><p>工場は好きな値段をつけられます。工場に作れないのは時間です。この工房の器ひとつは、少なくとも十二回は私たちの手を通ります。秤にかけ、挽き、乾かし、削り、もう一度乾かし、素焼きし、釉を掛け、炻器の温度で焼き、砥ぎ、撮影し、作品登録に記載する。最初に触れてから最後に触れるまでに、何週間も経ちます。生き延びない器もあります。釉薬が流れ、冷めていく窯のなかで割れが開く。その損失は、生き延びたすべての器が背負っているものの一部です。</p><p>ですから手仕事の器の正直な原価は、安価な材料でもなければ、存在しない看板でもありません。ひとつのことを極めて上手にやる人たちの、凝縮された時間です。それに、窯が持っていくすべてを足したもの。器に真剣な値がつくとき、値がついているのはそれです。</p><h2>手が技術です</h2><p>この世の焼きもののほとんどは型で抜かれています。同じ体が一万個。その仕事には役割があり、質のよい手頃な食器はそうして存在しています。けれども、別の種類のものです。轆轤で挽いた器は、一度だけ下された判断の連なりです。壁をどこまで薄くする勇気を持つか、曲線がどこで向きを変えるか、口縁は唇にどう出会うべきか。その判断は指先で読めます。壁の内側の轆轤目、高台の下の削りの螺旋。</p><p><a href="https://studioesja.com/ja/journal/why-handmade-ceramics-are-never-identical/">手作りの器に同じものが二つとない</a>のも、そのためです。同じであることは工場の美徳です。工房では、手から出る小さな違いは欠点ではありません。どう作られたかの証拠です。</p><h2>火は共作者です</h2><p>工業用の釉薬は、行儀よく振る舞うように作られています。私たちが使う釉薬は、完全には行儀よくないという理由で選んでいます。結晶釉は冷めていく窯のなかで結晶を育て、二度の焼成が同じように育てることはありません。貫入の釉は持ち主の手のなかで何年も育ちつづけ、お茶と時間とともに線を深めます。その表面の一生については<a href="https://studioesja.com/ja/journal/how-glaze-changes-the-character-of-a-cup/">釉薬は器の性格をどう変えるか</a>に書きました。</p><p>作り手が完全には指図できない表面は、定義からして量産できません。よい釉薬に深さを感じるとき、感じ取られているのはこれです。およそ1300度で一度だけ起きた出来事であり、二度と同じようには起きない出来事です。</p><h2>記録は器と同じだけ大切です</h2><p>「上質」のなかには、美しさとまったく関係のない部分があります。その器は、自分が何であるかを証明できるか。絵画は何世紀も前に来歴の問題を解きました。工房の焼きものは、おおむね解いていません。作者のわからない器は、一世代のうちに自分の歴史を失います。</p><p>この工房の答えが<a href="https://studioesja.com/ja/registry/">作品登録</a>です。すべての器に高台へ銘を入れ、番号を付し、土、釉薬、焼成、寸法、写真とともに記録します。売れた器も<a href="https://studioesja.com/ja/archive/">アーカイブ</a>に恒久的に残ります。自分の歴史を携えた器は、棚の上で見栄えがするだけの器とは別種の持ちものです。そして私たちの考えでは、「上質」という言葉はいまや、その記録までを含んでいなければなりません。</p><p>これが当てはまる器は、窯を出るとすぐ<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>に並びます。ひとつずつ、個別に撮影し、一度だけ売られます。</p>]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>「上質」という言葉は、ただ高価なだけの器にもよく付いています。工房の内側から見ると、この言葉はもっと具体的で、確かめられる何かを指しています。</p><p>「上質」という言い回しには用心しています。値段が高くて写真がよければ何にでも付きますし、焼きものにはその両方が溢れています。それでも工房に手紙をくださる方がこの言葉を使うのには、理由があります。感じ取れている違いに名前をつけようとしているのです。ただ高いだけの器と、手に取った瞬間に自分を説明してしまう器との違いに。その違いは実在しますし、正確に書くことができます。</p><p>ですからこれは、売る人ではなく作る人としての、私たちの正直な答えです。もっと長く、落ち着いた形では<a href="https://studioesja.com/ja/high-end-ceramics/">上質な陶器の手引き</a>に書きました。こちらは工房の床の上からの話です。</p><h2>値段は物差しになりません</h2><p>工場は好きな値段をつけられます。工場に作れないのは時間です。この工房の器ひとつは、少なくとも十二回は私たちの手を通ります。秤にかけ、挽き、乾かし、削り、もう一度乾かし、素焼きし、釉を掛け、炻器の温度で焼き、砥ぎ、撮影し、作品登録に記載する。最初に触れてから最後に触れるまでに、何週間も経ちます。生き延びない器もあります。釉薬が流れ、冷めていく窯のなかで割れが開く。その損失は、生き延びたすべての器が背負っているものの一部です。</p><p>ですから手仕事の器の正直な原価は、安価な材料でもなければ、存在しない看板でもありません。ひとつのことを極めて上手にやる人たちの、凝縮された時間です。それに、窯が持っていくすべてを足したもの。器に真剣な値がつくとき、値がついているのはそれです。</p><h2>手が技術です</h2><p>この世の焼きもののほとんどは型で抜かれています。同じ体が一万個。その仕事には役割があり、質のよい手頃な食器はそうして存在しています。けれども、別の種類のものです。轆轤で挽いた器は、一度だけ下された判断の連なりです。壁をどこまで薄くする勇気を持つか、曲線がどこで向きを変えるか、口縁は唇にどう出会うべきか。その判断は指先で読めます。壁の内側の轆轤目、高台の下の削りの螺旋。</p><p><a href="https://studioesja.com/ja/journal/why-handmade-ceramics-are-never-identical/">手作りの器に同じものが二つとない</a>のも、そのためです。同じであることは工場の美徳です。工房では、手から出る小さな違いは欠点ではありません。どう作られたかの証拠です。</p><h2>火は共作者です</h2><p>工業用の釉薬は、行儀よく振る舞うように作られています。私たちが使う釉薬は、完全には行儀よくないという理由で選んでいます。結晶釉は冷めていく窯のなかで結晶を育て、二度の焼成が同じように育てることはありません。貫入の釉は持ち主の手のなかで何年も育ちつづけ、お茶と時間とともに線を深めます。その表面の一生については<a href="https://studioesja.com/ja/journal/how-glaze-changes-the-character-of-a-cup/">釉薬は器の性格をどう変えるか</a>に書きました。</p><p>作り手が完全には指図できない表面は、定義からして量産できません。よい釉薬に深さを感じるとき、感じ取られているのはこれです。およそ1300度で一度だけ起きた出来事であり、二度と同じようには起きない出来事です。</p><h2>記録は器と同じだけ大切です</h2><p>「上質」のなかには、美しさとまったく関係のない部分があります。その器は、自分が何であるかを証明できるか。絵画は何世紀も前に来歴の問題を解きました。工房の焼きものは、おおむね解いていません。作者のわからない器は、一世代のうちに自分の歴史を失います。</p><p>この工房の答えが<a href="https://studioesja.com/ja/registry/">作品登録</a>です。すべての器に高台へ銘を入れ、番号を付し、土、釉薬、焼成、寸法、写真とともに記録します。売れた器も<a href="https://studioesja.com/ja/archive/">アーカイブ</a>に恒久的に残ります。自分の歴史を携えた器は、棚の上で見栄えがするだけの器とは別種の持ちものです。そして私たちの考えでは、「上質」という言葉はいまや、その記録までを含んでいなければなりません。</p><p>これが当てはまる器は、窯を出るとすぐ<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>に並びます。ひとつずつ、個別に撮影し、一度だけ売られます。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>鉢と湯呑と茶碗のちがい</title>
      <link>https://studioesja.com/ja/journal/bowl-yunomi-tea-bowl-differences/</link>
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      <pubDate>Fri, 03 Jul 2026 12:00:00 GMT</pubDate>
      <dc:creator>Studio Esja</dc:creator>
      <description><![CDATA[<p>似て見えて、まったく違う暮らしをする三つのかたち。鉢、湯呑、茶碗。その見分けかたの、短い手引きです。</p><p>よく作る三つのかたち——鉢、湯呑、茶碗——は、たえず取り違えられます。無理もありません。三つとも把手のない、開いた器です。けれども別々のかたちで、別々の仕事をしています。そして一度ちがいが見えたら、もう見えなくなることはありません。</p><h2>鉢</h2><p>鉢を決めているのは開きです。背より径が広く、中身を上へ差し出すための曲線を持ちます。焼きもののなかでは何でも屋で——食べもの、果物、溶いた卵、玄関の鍵——その釣り合いは用途にそのまま従います。浅い鉢は見せ、深い鉢は熱を抱えます。</p><p>手のなかでは、良い鉢は持ち上がりで判断されます。高台から口縁までの曲線がひとつながりに感じられ、重さは低くありながら鈍くない。その多くは<a href="https://studioesja.com/ja/journal/trimming-a-ceramic-bowl-why-the-foot-matters/">高台を削る</a>段階で決まります。</p><h2>湯呑</h2><p>湯呑は鉢ではなく、茶の器です。径より背が高く、ひと組の手に合う大きさで、把手がありません。茶の湯ではなく、日々のお茶のためのかたちです。その釣り合いこそが正体で、おおむね筒形、作り手の手によってわずかに締まったり開いたりし、小さく削った高台の上に立ちます。</p><p>把手がないのは機能です。<a href="https://studioesja.com/ja/journal/how-a-handmade-yunomi-cup-is-thrown/">湯呑が挽かれるまで</a>にも書いたとおり、壁があなたの温度計です。持てないなら、まだ飲むときではありません。湯呑は緑茶にも紅茶にも同じように合い、この工房では、いつの間にかコーヒーのために選ばれることのいちばん多いかたちになりました。</p><h2>茶碗</h2><p>茶碗——抹茶を点てて飲むための、いわゆる抹茶碗です——は、三つのなかでいちばん広く、いちばん改まったかたちです。茶筅が動くだけの広さがあり、泡を抱えるだけの深さがあり、両手で持ち上げるかたちに作られます。その釣り合いは器と鉢のあいだにあり、居ずまいの質が違います。茶碗は、湯呑がけっして求めないしかたで、その場の中心になります。</p><p>このかたちが何世紀もの茶の文化を負っているために、作り手が歪みと重さと表面にもっとも真剣に向き合うのも茶碗です。静かな茶碗も、荒い茶碗もありますが、気軽な茶碗というものはありません。正直に言えば、私たちが作るなかでいちばん難しいかたちでもあります。茶碗には、何ひとつ隠れる場所がありません。</p><h2>どれを選ぶか</h2><p>その器に送ってほしい暮らしで選んでください。机で日々のお茶やコーヒーを飲むなら湯呑。食べもの、取り分け、食卓なら鉢。抹茶、あるいはゆっくりした時間の中心に置く一点なら茶碗。三つのあいだに上下はありません。毎日使われるよい湯呑のほうが、箱にしまわれた茶碗より価値がある、というのが私たちの考えです。</p><p>三つとも、窯を出たものから<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>に並びます。どれも個別に撮影しています。そしてどのかたちと暮らすことになっても、<a href="https://studioesja.com/ja/journal/making-ceramic-work-for-daily-use/">それは使うために作られています</a>。</p>]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>似て見えて、まったく違う暮らしをする三つのかたち。鉢、湯呑、茶碗。その見分けかたの、短い手引きです。</p><p>よく作る三つのかたち——鉢、湯呑、茶碗——は、たえず取り違えられます。無理もありません。三つとも把手のない、開いた器です。けれども別々のかたちで、別々の仕事をしています。そして一度ちがいが見えたら、もう見えなくなることはありません。</p><h2>鉢</h2><p>鉢を決めているのは開きです。背より径が広く、中身を上へ差し出すための曲線を持ちます。焼きもののなかでは何でも屋で——食べもの、果物、溶いた卵、玄関の鍵——その釣り合いは用途にそのまま従います。浅い鉢は見せ、深い鉢は熱を抱えます。</p><p>手のなかでは、良い鉢は持ち上がりで判断されます。高台から口縁までの曲線がひとつながりに感じられ、重さは低くありながら鈍くない。その多くは<a href="https://studioesja.com/ja/journal/trimming-a-ceramic-bowl-why-the-foot-matters/">高台を削る</a>段階で決まります。</p><h2>湯呑</h2><p>湯呑は鉢ではなく、茶の器です。径より背が高く、ひと組の手に合う大きさで、把手がありません。茶の湯ではなく、日々のお茶のためのかたちです。その釣り合いこそが正体で、おおむね筒形、作り手の手によってわずかに締まったり開いたりし、小さく削った高台の上に立ちます。</p><p>把手がないのは機能です。<a href="https://studioesja.com/ja/journal/how-a-handmade-yunomi-cup-is-thrown/">湯呑が挽かれるまで</a>にも書いたとおり、壁があなたの温度計です。持てないなら、まだ飲むときではありません。湯呑は緑茶にも紅茶にも同じように合い、この工房では、いつの間にかコーヒーのために選ばれることのいちばん多いかたちになりました。</p><h2>茶碗</h2><p>茶碗——抹茶を点てて飲むための、いわゆる抹茶碗です——は、三つのなかでいちばん広く、いちばん改まったかたちです。茶筅が動くだけの広さがあり、泡を抱えるだけの深さがあり、両手で持ち上げるかたちに作られます。その釣り合いは器と鉢のあいだにあり、居ずまいの質が違います。茶碗は、湯呑がけっして求めないしかたで、その場の中心になります。</p><p>このかたちが何世紀もの茶の文化を負っているために、作り手が歪みと重さと表面にもっとも真剣に向き合うのも茶碗です。静かな茶碗も、荒い茶碗もありますが、気軽な茶碗というものはありません。正直に言えば、私たちが作るなかでいちばん難しいかたちでもあります。茶碗には、何ひとつ隠れる場所がありません。</p><h2>どれを選ぶか</h2><p>その器に送ってほしい暮らしで選んでください。机で日々のお茶やコーヒーを飲むなら湯呑。食べもの、取り分け、食卓なら鉢。抹茶、あるいはゆっくりした時間の中心に置く一点なら茶碗。三つのあいだに上下はありません。毎日使われるよい湯呑のほうが、箱にしまわれた茶碗より価値がある、というのが私たちの考えです。</p><p>三つとも、窯を出たものから<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>に並びます。どれも個別に撮影しています。そしてどのかたちと暮らすことになっても、<a href="https://studioesja.com/ja/journal/making-ceramic-work-for-daily-use/">それは使うために作られています</a>。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>日々使うための器をつくる</title>
      <link>https://studioesja.com/ja/journal/making-ceramic-work-for-daily-use/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://studioesja.com/ja/journal/making-ceramic-work-for-daily-use/</guid>
      <pubDate>Tue, 30 Jun 2026 12:00:00 GMT</pubDate>
      <dc:creator>Studio Esja</dc:creator>
      <description><![CDATA[<p>器が受け取れるいちばんの褒め言葉は、何年ものあいだ毎朝使われることです。それに耐えるようどう作るのか、そしてなぜそうあるべきなのか。</p><p>手作りの器のなかには、買われたあと守られてしまうものがあります。棚に置かれ、年に二度使われ、離れたところから眺められる。その気持ちはわかりますし、私たちはそれに逆らって作ります。器は飲まれることで完成します。食べものを受けない鉢は、鉢の彫刻です。私たちの仕事が受け取れるいちばんの褒め言葉は、十年のあいだ毎朝、考えもせずに選ばれる、誰かの当たり前の器になることです。</p><h2>使うために作る</h2><p>日々使われることは、あとから付け足す配慮ではなく、設計の条件です。まず素材から始まります。焼き締まるまで焼いた炻器は緻密で硬く、水を吸いません。これまでに作られたなかでもっとも丈夫な食器と同じ系統の材料です。次にかたちです。しっかり立つだけの幅のある高台、熱を隔てるだけ厚く、それでいて持ち上げられるだけ釣り合いの取れた壁、そして<a href="https://studioesja.com/ja/journal/what-makes-a-handmade-cup-feel-good-in-the-hand/">やわらかく仕上げた口縁</a>。何千回も誰かの唇に触れるからです。</p><p>実用の面に使う釉薬は、安定していて食品にも安全なものを選び、ガラスが完成するまできちんと焼きます。食洗機やスプーンに耐えられない美しい表面は、彫刻的な仕事なら構いません——<a href="https://studioesja.com/ja/gallery/">ギャラリーの作品</a>は別の規則で動いています——けれども実用の仕事は、二つの約束を守らなければなりません。美しく、そして使えること。</p><h2>使うことが器にすること</h2><p>使用は焼きものをゆっくり変え、たいていは良いほうへ変えます。親指の当たるところで、艶は目に見えないほどやわらぎます。貫入の器は、お茶が線の網を見つけるにつれて、少しずつその線を育てます。日本ではこの染みは傷ではなく、器があなたと過ごした時間の記録です。無釉の高台は、毎日木の上に置かれることで、かすかな艶を帯びていきます。どれも劣化ではありません。来歴のある器と、まだ包みのなかにある器の違いです。</p><p>もちろん、正直な限度もあります。急な温度変化——凍えた器に熱湯、熱い鉢を冷たく濡れた台へ——は、手作りでも工業製品でも、陶磁器の唯一の本当の敵です。気をつける習慣は多くありません。<a href="https://studioesja.com/ja/care-guide/">お手入れ</a>にまとめてあります。</p><h2>飾ることより、これが大事な理由</h2><p>使われている器は、あなたの一日のいちばん無防備なところに入ってきます。コーヒーの前、言葉の前です。作り手が重さと口縁に込めたものは何であれ、そのときあなたに渡ります。毎日、ほとんど意識されずに。積み重なったその接触は、どんな棚も届けられない大きな美的経験であり、また別の工業製品ではなく手仕事の器を買う、本当の理由です。</p><p>ですから、使ってください。<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>のどれもが、そのつもりで作られ、釉を掛けられ、焼かれています。この器は、あなたの生活から守られる必要はありません。そのなかに置かれる必要があります。</p>]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>器が受け取れるいちばんの褒め言葉は、何年ものあいだ毎朝使われることです。それに耐えるようどう作るのか、そしてなぜそうあるべきなのか。</p><p>手作りの器のなかには、買われたあと守られてしまうものがあります。棚に置かれ、年に二度使われ、離れたところから眺められる。その気持ちはわかりますし、私たちはそれに逆らって作ります。器は飲まれることで完成します。食べものを受けない鉢は、鉢の彫刻です。私たちの仕事が受け取れるいちばんの褒め言葉は、十年のあいだ毎朝、考えもせずに選ばれる、誰かの当たり前の器になることです。</p><h2>使うために作る</h2><p>日々使われることは、あとから付け足す配慮ではなく、設計の条件です。まず素材から始まります。焼き締まるまで焼いた炻器は緻密で硬く、水を吸いません。これまでに作られたなかでもっとも丈夫な食器と同じ系統の材料です。次にかたちです。しっかり立つだけの幅のある高台、熱を隔てるだけ厚く、それでいて持ち上げられるだけ釣り合いの取れた壁、そして<a href="https://studioesja.com/ja/journal/what-makes-a-handmade-cup-feel-good-in-the-hand/">やわらかく仕上げた口縁</a>。何千回も誰かの唇に触れるからです。</p><p>実用の面に使う釉薬は、安定していて食品にも安全なものを選び、ガラスが完成するまできちんと焼きます。食洗機やスプーンに耐えられない美しい表面は、彫刻的な仕事なら構いません——<a href="https://studioesja.com/ja/gallery/">ギャラリーの作品</a>は別の規則で動いています——けれども実用の仕事は、二つの約束を守らなければなりません。美しく、そして使えること。</p><h2>使うことが器にすること</h2><p>使用は焼きものをゆっくり変え、たいていは良いほうへ変えます。親指の当たるところで、艶は目に見えないほどやわらぎます。貫入の器は、お茶が線の網を見つけるにつれて、少しずつその線を育てます。日本ではこの染みは傷ではなく、器があなたと過ごした時間の記録です。無釉の高台は、毎日木の上に置かれることで、かすかな艶を帯びていきます。どれも劣化ではありません。来歴のある器と、まだ包みのなかにある器の違いです。</p><p>もちろん、正直な限度もあります。急な温度変化——凍えた器に熱湯、熱い鉢を冷たく濡れた台へ——は、手作りでも工業製品でも、陶磁器の唯一の本当の敵です。気をつける習慣は多くありません。<a href="https://studioesja.com/ja/care-guide/">お手入れ</a>にまとめてあります。</p><h2>飾ることより、これが大事な理由</h2><p>使われている器は、あなたの一日のいちばん無防備なところに入ってきます。コーヒーの前、言葉の前です。作り手が重さと口縁に込めたものは何であれ、そのときあなたに渡ります。毎日、ほとんど意識されずに。積み重なったその接触は、どんな棚も届けられない大きな美的経験であり、また別の工業製品ではなく手仕事の器を買う、本当の理由です。</p><p>ですから、使ってください。<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>のどれもが、そのつもりで作られ、釉を掛けられ、焼かれています。この器は、あなたの生活から守られる必要はありません。そのなかに置かれる必要があります。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>釉薬は器の性格をどう変えるか</title>
      <link>https://studioesja.com/ja/journal/how-glaze-changes-the-character-of-a-cup/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://studioesja.com/ja/journal/how-glaze-changes-the-character-of-a-cup/</guid>
      <pubDate>Sat, 27 Jun 2026 12:00:00 GMT</pubDate>
      <dc:creator>Studio Esja</dc:creator>
      <description><![CDATA[<p>同じかたちを三通りに釉掛けすれば、三つの別の器になります。釉薬は器の上の飾りではありません。器の半分です。</p><p>挽いたかたちをひとつ——同じ土、同じ輪郭、同じ重さ——三通りに釉掛けします。艶のある深い緑、乾いた白の艶消し、貫入の青磁。それでもう、三つの別の器です。惹かれる人が違い、合う飲みものが違い、口に当たる感触が違い、何年もの使用のなかで違う育ちかたをします。釉薬は、仕上がったものの上に塗る一層ではありません。そのものの半分です。</p><h2>釉薬とは何か</h2><p>釉薬はガラスです。土の上で熔け、そこに留まるように組み立てられています。鉱物を配合して作ります。ガラスそのものになる珪酸、熔ける温度を下げる媒熔剤、安定させるアルミナ、色を出す金属酸化物。それを水に懸濁させます。窯のなかでその膜は熔けて液体の皮になり、重力と表面張力に従って動き、冷却がつかまえたところで固まります。釉の掛かった器に見えるすべての出来事は、その動きの化石です。</p><h2>艶、艶消し、そのあいだ</h2><p>艶のある表面は完全に熔けたガラスで、光を映すほど滑らかです。濡れて、清潔で、速いものとして読まれ、日々の使用にはいちばん実用的です。艶消しの表面は途切れたガラスです。微細な結晶や熔け残りの肌が、光を反射させずに散らします。艶消しの釉は水ではなく石として読まれます。影を抱え、親指の下で乾いてやわらかく、まぶしさなしにかたちを見せます。二つの極のあいだにあるのが半艶で、私たちの仕事の多くはそこにあります。密に閉じてやわらぐだけ熔け、静かでいられるだけの肌を残す。</p><h2>切れと溜まり</h2><p>実際の器の上で、釉薬の厚みが一定であることはありません。口縁や挽き目の稜を越えるところでは引き伸ばされて薄くなり、かたちが受け皿になるところには集まります。多くの釉薬は、その厚みとともに色を変えます。薄ければ焦げた縁として土を透かし、厚ければ深まって、水のように溜まる。作り手はこれを、釉が縁で「切れる」と言います。こう掛けられた器は、自分のかたちに線を引きます。手が感じる稜のひとつひとつが、同時に色でも描かれているのです。焼きものの持つもののなかで、いちばん書に近い出来事だと思います。</p><h2>貫入と結晶</h2><p>表面のなかには、覆いではなく出来事であるものがあります。貫入の釉は、わざと土とわずかに合わない収縮率で作られていて、冷えたガラスが細い線の網となって張力を逃がします。結晶釉はさらに進みます。下がっていく途中の適した温度で保つと、熔けのなかに目に見える結晶が育ちます。置くことはできず、招くことしかできない、鉱物の秩序の花です。結晶釉は、工房が選びうる表面のなかでもとりわけ難しいもののひとつです。だからこそ、私たちはそれを選んでいます。</p><p>どちらの表面も、制御を手放して性格を得ています。そしてどちらも、<a href="https://studioesja.com/ja/journal/why-handmade-ceramics-are-never-identical/">同じ器が二度と現れない</a>理由です。</p><h2>性格で選ぶ</h2><p><a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>から器を選ぶとき、選んでいるのはほとんど釉薬の性格です。速い艶か、静かな艶消しか。均一な膜か、天気のある表面か。良し悪しはありません。どちらと暮らしたいか、それだけです。どれを選ばれても、こうした表面が日々のなかでどう振る舞うかは<a href="https://studioesja.com/ja/care-guide/">お手入れ</a>にまとめてあります。</p>]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>同じかたちを三通りに釉掛けすれば、三つの別の器になります。釉薬は器の上の飾りではありません。器の半分です。</p><p>挽いたかたちをひとつ——同じ土、同じ輪郭、同じ重さ——三通りに釉掛けします。艶のある深い緑、乾いた白の艶消し、貫入の青磁。それでもう、三つの別の器です。惹かれる人が違い、合う飲みものが違い、口に当たる感触が違い、何年もの使用のなかで違う育ちかたをします。釉薬は、仕上がったものの上に塗る一層ではありません。そのものの半分です。</p><h2>釉薬とは何か</h2><p>釉薬はガラスです。土の上で熔け、そこに留まるように組み立てられています。鉱物を配合して作ります。ガラスそのものになる珪酸、熔ける温度を下げる媒熔剤、安定させるアルミナ、色を出す金属酸化物。それを水に懸濁させます。窯のなかでその膜は熔けて液体の皮になり、重力と表面張力に従って動き、冷却がつかまえたところで固まります。釉の掛かった器に見えるすべての出来事は、その動きの化石です。</p><h2>艶、艶消し、そのあいだ</h2><p>艶のある表面は完全に熔けたガラスで、光を映すほど滑らかです。濡れて、清潔で、速いものとして読まれ、日々の使用にはいちばん実用的です。艶消しの表面は途切れたガラスです。微細な結晶や熔け残りの肌が、光を反射させずに散らします。艶消しの釉は水ではなく石として読まれます。影を抱え、親指の下で乾いてやわらかく、まぶしさなしにかたちを見せます。二つの極のあいだにあるのが半艶で、私たちの仕事の多くはそこにあります。密に閉じてやわらぐだけ熔け、静かでいられるだけの肌を残す。</p><h2>切れと溜まり</h2><p>実際の器の上で、釉薬の厚みが一定であることはありません。口縁や挽き目の稜を越えるところでは引き伸ばされて薄くなり、かたちが受け皿になるところには集まります。多くの釉薬は、その厚みとともに色を変えます。薄ければ焦げた縁として土を透かし、厚ければ深まって、水のように溜まる。作り手はこれを、釉が縁で「切れる」と言います。こう掛けられた器は、自分のかたちに線を引きます。手が感じる稜のひとつひとつが、同時に色でも描かれているのです。焼きものの持つもののなかで、いちばん書に近い出来事だと思います。</p><h2>貫入と結晶</h2><p>表面のなかには、覆いではなく出来事であるものがあります。貫入の釉は、わざと土とわずかに合わない収縮率で作られていて、冷えたガラスが細い線の網となって張力を逃がします。結晶釉はさらに進みます。下がっていく途中の適した温度で保つと、熔けのなかに目に見える結晶が育ちます。置くことはできず、招くことしかできない、鉱物の秩序の花です。結晶釉は、工房が選びうる表面のなかでもとりわけ難しいもののひとつです。だからこそ、私たちはそれを選んでいます。</p><p>どちらの表面も、制御を手放して性格を得ています。そしてどちらも、<a href="https://studioesja.com/ja/journal/why-handmade-ceramics-are-never-identical/">同じ器が二度と現れない</a>理由です。</p><h2>性格で選ぶ</h2><p><a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>から器を選ぶとき、選んでいるのはほとんど釉薬の性格です。速い艶か、静かな艶消しか。均一な膜か、天気のある表面か。良し悪しはありません。どちらと暮らしたいか、それだけです。どれを選ばれても、こうした表面が日々のなかでどう振る舞うかは<a href="https://studioesja.com/ja/care-guide/">お手入れ</a>にまとめてあります。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>仕上がった鉢の背後にある静かな仕事</title>
      <link>https://studioesja.com/ja/journal/the-quiet-work-behind-a-finished-bowl/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://studioesja.com/ja/journal/the-quiet-work-behind-a-finished-bowl/</guid>
      <pubDate>Wed, 24 Jun 2026 12:00:00 GMT</pubDate>
      <dc:creator>Studio Esja</dc:creator>
      <description><![CDATA[<p>鉢が轆轤の上で過ごす一分に対して、誰も撮らない仕事に何時間もかかります。練り、乾燥、篩い、窯詰め、待つこと、そして見極めること。</p><p>焼きものの動画が轆轤に集まるのには理由があります。魔法に見える段階はそこだけだからです。濡れた土が数秒でかたちに立ち上がる。けれども挽きは、一週間の仕事のごく一部です。残りはもっと静かで、遅く、そして絵になる部分よりずっと多くの最終的な質を決めています。</p><h2>誰も見ない支度</h2><p>土は仕事のたびに練ります。釉薬はチューブから出す絵の具ではなく、生きた懸濁液です。鉱物は沈み、水は蒸発します。ですから釉掛けの日の前に、バケツごとにかき混ぜ、比重を測り、細かい篩を通します。混ざりきらなかった塊がひとつあれば、仕上がった表面の傷になるからです。道具を洗い、亀板を削り、轆轤を拭く。どれも創作ではありません。そのすべてが、創作の立っている床です。</p><h2>待つという技術</h2><p>この仕事のかなりの部分は、触らずにおく規律です。削りの前に、器はちょうど半乾きに達していなければなりません。早すぎれば壁が歪み、遅すぎれば鉋が跳ねて土を毟ります。そのあと素焼きの前に、完全に乾かさなければなりません。乾いたように感じる器も、窯で割れるだけの水を抱えていることがあります。この工房では、緩く覆ったビニールの下で何日もかけ、わざと遅く乾かします。暦もまた道具のひとつです。</p><p>窯は窯で、こちらに辛抱を強います。釉の焼成は上げに一日近く、下げに丸一日。熱いうちに覗こうと窯を開ければ、仕事はそこで失われます。だから待ちます。この仕事をする人はみな待つことを覚えます。あるいは、割りながら覚えます。</p><h2>窯を詰める</h2><p>窯詰めは、結果の伴う立体のチェスです。器はどれも隣とも電熱線とも間を空けなければならず、棚の高さは仕事に合わせて組みます。そして窯には暖かい場所と冷たい場所があるので、どの器をどこに立てるかは本当に美意識の判断です。流れてほしい釉薬は暖かい場所へ、抑えておきたいかたちは冷たい場所へ。よく詰まった窯は半分空の窯より均一に焼けるので、焼成が理に適うところまで作り、そのあいだ器を手元に留めておきます。</p><h2>最後の見極め</h2><p>窯がようやく冷めたら、器をひとつずつ手に取り、ひっくり返し、指で叩き、日の光のもとで見ます。通るものがあります。日を改めてもう一度見るために棚へ戻るものがあります。そして——経験とともに減りましたが、ゼロになったことはありません——割って捨てるものがあります。よくない器は、売り物になったからといってよくはならないからです。</p><p>この目に見えない仕掛けを生き延びたものが、一点ずつ<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>に現れます。目に見える器は短く、その背後の仕事は長い。手作りの鉢を持ち上げるとき、実際に手にしているのはその比です。工程の全体は<a href="https://studioesja.com/ja/journal/from-clay-to-cup-making-a-small-stoneware-piece/">土から器になるまで</a>にあります。</p>]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>鉢が轆轤の上で過ごす一分に対して、誰も撮らない仕事に何時間もかかります。練り、乾燥、篩い、窯詰め、待つこと、そして見極めること。</p><p>焼きものの動画が轆轤に集まるのには理由があります。魔法に見える段階はそこだけだからです。濡れた土が数秒でかたちに立ち上がる。けれども挽きは、一週間の仕事のごく一部です。残りはもっと静かで、遅く、そして絵になる部分よりずっと多くの最終的な質を決めています。</p><h2>誰も見ない支度</h2><p>土は仕事のたびに練ります。釉薬はチューブから出す絵の具ではなく、生きた懸濁液です。鉱物は沈み、水は蒸発します。ですから釉掛けの日の前に、バケツごとにかき混ぜ、比重を測り、細かい篩を通します。混ざりきらなかった塊がひとつあれば、仕上がった表面の傷になるからです。道具を洗い、亀板を削り、轆轤を拭く。どれも創作ではありません。そのすべてが、創作の立っている床です。</p><h2>待つという技術</h2><p>この仕事のかなりの部分は、触らずにおく規律です。削りの前に、器はちょうど半乾きに達していなければなりません。早すぎれば壁が歪み、遅すぎれば鉋が跳ねて土を毟ります。そのあと素焼きの前に、完全に乾かさなければなりません。乾いたように感じる器も、窯で割れるだけの水を抱えていることがあります。この工房では、緩く覆ったビニールの下で何日もかけ、わざと遅く乾かします。暦もまた道具のひとつです。</p><p>窯は窯で、こちらに辛抱を強います。釉の焼成は上げに一日近く、下げに丸一日。熱いうちに覗こうと窯を開ければ、仕事はそこで失われます。だから待ちます。この仕事をする人はみな待つことを覚えます。あるいは、割りながら覚えます。</p><h2>窯を詰める</h2><p>窯詰めは、結果の伴う立体のチェスです。器はどれも隣とも電熱線とも間を空けなければならず、棚の高さは仕事に合わせて組みます。そして窯には暖かい場所と冷たい場所があるので、どの器をどこに立てるかは本当に美意識の判断です。流れてほしい釉薬は暖かい場所へ、抑えておきたいかたちは冷たい場所へ。よく詰まった窯は半分空の窯より均一に焼けるので、焼成が理に適うところまで作り、そのあいだ器を手元に留めておきます。</p><h2>最後の見極め</h2><p>窯がようやく冷めたら、器をひとつずつ手に取り、ひっくり返し、指で叩き、日の光のもとで見ます。通るものがあります。日を改めてもう一度見るために棚へ戻るものがあります。そして——経験とともに減りましたが、ゼロになったことはありません——割って捨てるものがあります。よくない器は、売り物になったからといってよくはならないからです。</p><p>この目に見えない仕掛けを生き延びたものが、一点ずつ<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>に現れます。目に見える器は短く、その背後の仕事は長い。手作りの鉢を持ち上げるとき、実際に手にしているのはその比です。工程の全体は<a href="https://studioesja.com/ja/journal/from-clay-to-cup-making-a-small-stoneware-piece/">土から器になるまで</a>にあります。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>手作りの器に同じものが二つとない理由</title>
      <link>https://studioesja.com/ja/journal/why-handmade-ceramics-are-never-identical/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://studioesja.com/ja/journal/why-handmade-ceramics-are-never-identical/</guid>
      <pubDate>Sun, 21 Jun 2026 12:00:00 GMT</pubDate>
      <dc:creator>Studio Esja</dc:creator>
      <description><![CDATA[<p>手作りの器の個体差は、宣伝の文句ではありません。物理です。土も、手も、釉薬も、火も、まったく同じことを繰り返してはくれません。</p><p>「どれも一点物です」という言葉は、あまりに多くの商品ページに書かれて、もう何も意味しなくなりました。ですから具体的に書きます。同じ土から、同じ午後に、同じ釉薬で挽いた二つの器が、なぜ仕組みとして別のものになって窯から出てくるのか。</p><h2>土は均一ではありません</h2><p>同じ袋のなかでも、土の水分と粒の分布はわずかに違います。秤で同じ重さにした二つの塊は、同じ力に対して別の動きをします。片方は少し高く伸び、片方は開きたがる。土には記憶もあります。練りと挽きのあいだに入れられた応力は素材のなかに残り、乾燥と焼成のあいだに小さな動きとしてかたちに戻ってきます。いちど楕円に押された口縁は、削ったときどれほど丸く見えても、火のなかで楕円へ戻っていきます。</p><h2>手は機械ではありません</h2><p>挽かれた壁は圧をそのまま記録します。轆轤は一定に回っていても、壁を伝う手は一定ではありません。一引きごとが、決められた手順ではなく、その場のやりとりです。手作りの器を螺旋に登っていく轆轤目は、文字どおりその午後の注意の記録です。同じかたちを四十回挽けば、四十の兄弟が生まれます。明らかに血縁があり、一人ずつ違う。轆轤の前で十分に長い時間を過ごした人なら、轆轤目だけで、誰が挽いた器かたいてい見当がつきます。</p><h2>釉薬の厚みは地形です</h2><p>器を釉薬に浸すと、その膜の厚みはミリの何分の一かの単位で変わります。流れ落ちて溜まったところは厚く、縁や稜の上は薄い。その何分の一かがすべてを決めます。厚いところでは色が深くなって溜まり、口縁で薄くなったところには土が透けます。結晶釉ではこの働きがさらに強く出ます。結晶は熔けの化学と冷却が許すところに育ち、二度の焼成が同じように散らすことはありません。詳しくは<a href="https://studioesja.com/ja/journal/how-glaze-changes-the-character-of-a-cup/">釉薬は器の性格をどう変えるか</a>に書きました。</p><h2>窯には地形があります</h2><p>窯のなかの温度は、ひとつの数字ではありません。棚ごとに暖かい場所と冷たい場所があり、電熱線のそばに立つ器は、中央に立つ器とは少し違う焼成を受けます。同じ釉薬でも、どこに立っていたかによって、艶が出たり、艶消しになったり、よく切れたり、結晶が育ったりします。これを窯詰めの位置と呼びます。自分の窯の地形を覚えるには何年もかかり、しかも終わりがありません。</p><h2>買うときに、それが意味すること</h2><p>商品ページの写真は、型番の見本ではなく、あなたのもとへ届く器そのものだということです。<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>の一点ずつを個別に撮影し、一度だけ載せ、持ち主が決まれば売却済みとする理由もそこにあります。二つの器が釉薬とかたちを分け合うことはあっても、あなたが選んでいるのは仕様ではありません。この口縁と、この表面を持つ、この器です。それは一度きり存在します。</p>]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>手作りの器の個体差は、宣伝の文句ではありません。物理です。土も、手も、釉薬も、火も、まったく同じことを繰り返してはくれません。</p><p>「どれも一点物です」という言葉は、あまりに多くの商品ページに書かれて、もう何も意味しなくなりました。ですから具体的に書きます。同じ土から、同じ午後に、同じ釉薬で挽いた二つの器が、なぜ仕組みとして別のものになって窯から出てくるのか。</p><h2>土は均一ではありません</h2><p>同じ袋のなかでも、土の水分と粒の分布はわずかに違います。秤で同じ重さにした二つの塊は、同じ力に対して別の動きをします。片方は少し高く伸び、片方は開きたがる。土には記憶もあります。練りと挽きのあいだに入れられた応力は素材のなかに残り、乾燥と焼成のあいだに小さな動きとしてかたちに戻ってきます。いちど楕円に押された口縁は、削ったときどれほど丸く見えても、火のなかで楕円へ戻っていきます。</p><h2>手は機械ではありません</h2><p>挽かれた壁は圧をそのまま記録します。轆轤は一定に回っていても、壁を伝う手は一定ではありません。一引きごとが、決められた手順ではなく、その場のやりとりです。手作りの器を螺旋に登っていく轆轤目は、文字どおりその午後の注意の記録です。同じかたちを四十回挽けば、四十の兄弟が生まれます。明らかに血縁があり、一人ずつ違う。轆轤の前で十分に長い時間を過ごした人なら、轆轤目だけで、誰が挽いた器かたいてい見当がつきます。</p><h2>釉薬の厚みは地形です</h2><p>器を釉薬に浸すと、その膜の厚みはミリの何分の一かの単位で変わります。流れ落ちて溜まったところは厚く、縁や稜の上は薄い。その何分の一かがすべてを決めます。厚いところでは色が深くなって溜まり、口縁で薄くなったところには土が透けます。結晶釉ではこの働きがさらに強く出ます。結晶は熔けの化学と冷却が許すところに育ち、二度の焼成が同じように散らすことはありません。詳しくは<a href="https://studioesja.com/ja/journal/how-glaze-changes-the-character-of-a-cup/">釉薬は器の性格をどう変えるか</a>に書きました。</p><h2>窯には地形があります</h2><p>窯のなかの温度は、ひとつの数字ではありません。棚ごとに暖かい場所と冷たい場所があり、電熱線のそばに立つ器は、中央に立つ器とは少し違う焼成を受けます。同じ釉薬でも、どこに立っていたかによって、艶が出たり、艶消しになったり、よく切れたり、結晶が育ったりします。これを窯詰めの位置と呼びます。自分の窯の地形を覚えるには何年もかかり、しかも終わりがありません。</p><h2>買うときに、それが意味すること</h2><p>商品ページの写真は、型番の見本ではなく、あなたのもとへ届く器そのものだということです。<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>の一点ずつを個別に撮影し、一度だけ載せ、持ち主が決まれば売却済みとする理由もそこにあります。二つの器が釉薬とかたちを分け合うことはあっても、あなたが選んでいるのは仕様ではありません。この口縁と、この表面を持つ、この器です。それは一度きり存在します。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>土から器になるまで — 小さな炻器ができるまで</title>
      <link>https://studioesja.com/ja/journal/from-clay-to-cup-making-a-small-stoneware-piece/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://studioesja.com/ja/journal/from-clay-to-cup-making-a-small-stoneware-piece/</guid>
      <pubDate>Thu, 18 Jun 2026 12:00:00 GMT</pubDate>
      <dc:creator>Studio Esja</dc:creator>
      <description><![CDATA[<p>小さな器ひとつが、七つの段階と二度の焼成を経て仕上がります。その順序のすべてと、どこで失われるのかについて。</p><p>手作りの器はひとつのものに見えますが、実際には順序を生き延びたものです。土の袋と仕上がった器のあいだには、七つの段階と二度の焼成、そして数週間があります。どの段階でも器は終わりえます。その順序を、短く、正直に書きます。</p><h2>1. 土を練る</h2><p>倉庫から出した土は、そのままでは挽けません。土練り——作業台の上でゆすりながら螺旋を描いて練る、いわゆる菊練りです——は、水分のむらをならし、閉じ込められた空気を追い出します。練りを生き延びた空気の粒は、何か月もあとに窯のなかで弾けることがあります。見栄えのしない仕事ですが、省いたことはありません。</p><h2>2. 轆轤で挽く</h2><p>秤にかけた土を轆轤の芯に据え、穴を開け、筒に引き上げます。焼きものと言われて多くの人が思い浮かべる段階で、実際いちばん短い時間で終わります。小さな器なら轆轤の上は五分から十分ほどです。把手のない茶の器を挽く様子は<a href="https://studioesja.com/ja/journal/how-a-handmade-yunomi-cup-is-thrown/">湯呑が挽かれるまで</a>に詳しく書きました。</p><h2>3. 削る</h2><p>一日か二日おくと器は半乾きになり、轆轤に伏せて据えて削ります。余分な重さを落とし、外側の曲線を仕上げ、高台を削り出します。詳しくは<a href="https://studioesja.com/ja/journal/trimming-a-ceramic-bowl-why-the-foot-matters/">高台がなぜ大事なのか</a>に書きましたが、要するに削りは、重い塊が定まったかたちになる場所です。</p><h2>4. 乾かす</h2><p>削った器は、完全に、そしてゆっくり乾かさなければなりません。むらのある乾燥は土に応力を残します。底より何日も早く乾いた口縁は割れることが多く、その割れは火が見つけるまで目に見えないこともあります。暖房で空気の乾くアイスランドの冬には、緩く覆ったビニールの下で乾かして速度を落とします。ここでの辛抱は、あとで仕事を失うより安上がりです。</p><h2>5. 素焼き</h2><p>一度目の焼成では、からからに乾いた器をゆっくり950〜1000度あたりまで上げます。土に化学的に結びついていた水が抜け、器は硬く、多孔質で、もとに戻らないものになります。二度と練れる土には戻りません。この多孔質であることが要点で、素焼きの器は釉薬をむらなく吸います。</p><h2>6. 釉を掛ける</h2><p>釉薬は浸けるか、流し掛けます。濡れているあいだの器は、最後の表面をほとんど見せません。多くの釉薬は、くすんだ灰色や白っぽい液体として掛かります。釉掛けは判断の仕事です。浸ける時間の長さ、口縁からの流れかた、どこを拭き取るか。高台の釉はすっかり落とします。そうしなければ、器は棚板に熔け着いてしまいます。</p><h2>7. 本焼き</h2><p>釉の焼成はずっと高く、1200度台に入ります。上げるのに一日近く、そのあと急げない冷却がもう一日。窯のなかで土は焼き締まり、釉薬は熔けて動き、最後の表面のかたちで固まります。ここが<a href="https://studioesja.com/ja/journal/how-glaze-changes-the-character-of-a-cup/">釉薬が性格になる</a>場所であり、それまでのすべての判断について、窯が最後の一言を言う場所です。</p><p>出てきたものは<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>へ行くか、もう一度見るために棚へ戻るか、週によっては槌へ向かいます。通ったものは一点ずつ撮影します。この順序を経たあとでは、<a href="https://studioesja.com/ja/journal/why-handmade-ceramics-are-never-identical/">同じものが二つとない</a>からです。</p>]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>小さな器ひとつが、七つの段階と二度の焼成を経て仕上がります。その順序のすべてと、どこで失われるのかについて。</p><p>手作りの器はひとつのものに見えますが、実際には順序を生き延びたものです。土の袋と仕上がった器のあいだには、七つの段階と二度の焼成、そして数週間があります。どの段階でも器は終わりえます。その順序を、短く、正直に書きます。</p><h2>1. 土を練る</h2><p>倉庫から出した土は、そのままでは挽けません。土練り——作業台の上でゆすりながら螺旋を描いて練る、いわゆる菊練りです——は、水分のむらをならし、閉じ込められた空気を追い出します。練りを生き延びた空気の粒は、何か月もあとに窯のなかで弾けることがあります。見栄えのしない仕事ですが、省いたことはありません。</p><h2>2. 轆轤で挽く</h2><p>秤にかけた土を轆轤の芯に据え、穴を開け、筒に引き上げます。焼きものと言われて多くの人が思い浮かべる段階で、実際いちばん短い時間で終わります。小さな器なら轆轤の上は五分から十分ほどです。把手のない茶の器を挽く様子は<a href="https://studioesja.com/ja/journal/how-a-handmade-yunomi-cup-is-thrown/">湯呑が挽かれるまで</a>に詳しく書きました。</p><h2>3. 削る</h2><p>一日か二日おくと器は半乾きになり、轆轤に伏せて据えて削ります。余分な重さを落とし、外側の曲線を仕上げ、高台を削り出します。詳しくは<a href="https://studioesja.com/ja/journal/trimming-a-ceramic-bowl-why-the-foot-matters/">高台がなぜ大事なのか</a>に書きましたが、要するに削りは、重い塊が定まったかたちになる場所です。</p><h2>4. 乾かす</h2><p>削った器は、完全に、そしてゆっくり乾かさなければなりません。むらのある乾燥は土に応力を残します。底より何日も早く乾いた口縁は割れることが多く、その割れは火が見つけるまで目に見えないこともあります。暖房で空気の乾くアイスランドの冬には、緩く覆ったビニールの下で乾かして速度を落とします。ここでの辛抱は、あとで仕事を失うより安上がりです。</p><h2>5. 素焼き</h2><p>一度目の焼成では、からからに乾いた器をゆっくり950〜1000度あたりまで上げます。土に化学的に結びついていた水が抜け、器は硬く、多孔質で、もとに戻らないものになります。二度と練れる土には戻りません。この多孔質であることが要点で、素焼きの器は釉薬をむらなく吸います。</p><h2>6. 釉を掛ける</h2><p>釉薬は浸けるか、流し掛けます。濡れているあいだの器は、最後の表面をほとんど見せません。多くの釉薬は、くすんだ灰色や白っぽい液体として掛かります。釉掛けは判断の仕事です。浸ける時間の長さ、口縁からの流れかた、どこを拭き取るか。高台の釉はすっかり落とします。そうしなければ、器は棚板に熔け着いてしまいます。</p><h2>7. 本焼き</h2><p>釉の焼成はずっと高く、1200度台に入ります。上げるのに一日近く、そのあと急げない冷却がもう一日。窯のなかで土は焼き締まり、釉薬は熔けて動き、最後の表面のかたちで固まります。ここが<a href="https://studioesja.com/ja/journal/how-glaze-changes-the-character-of-a-cup/">釉薬が性格になる</a>場所であり、それまでのすべての判断について、窯が最後の一言を言う場所です。</p><p>出てきたものは<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>へ行くか、もう一度見るために棚へ戻るか、週によっては槌へ向かいます。通ったものは一点ずつ撮影します。この順序を経たあとでは、<a href="https://studioesja.com/ja/journal/why-handmade-ceramics-are-never-identical/">同じものが二つとない</a>からです。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>アイスランドの光と、日本のかたち</title>
      <link>https://studioesja.com/ja/journal/icelandic-light-and-japanese-inspired-ceramics/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://studioesja.com/ja/journal/icelandic-light-and-japanese-inspired-ceramics/</guid>
      <pubDate>Mon, 15 Jun 2026 12:00:00 GMT</pubDate>
      <dc:creator>Studio Esja</dc:creator>
      <description><![CDATA[<p>アイスランドと日本は、地図の上では遠く、感じかたでは近い。そのあいだで仕事をするのは様式ではなく、規律です。省くこと。</p><p>私たちの工房は、モスフェットルスバイルのアゥラフォスにあります。レイキャビクから二十分ほどのところです。作っているかたち——湯呑、茶碗、静かな筒形の器——は日本の伝統から来ています。その二つがどう結びつくのかと訊かれることがあります。正直に言えば、結びつきすぎるほどです。</p><p>どちらの文化も、省くことを美徳にしました。日本の焼きものは、作為のない表面、直さずに受け入れられた歪み、名乗らずに日々に仕える器を尊びます。アイスランドは同じ推敲を風景の規模でやっています。黒い砂、苔、玄武岩、天気。要素はごくわずかで、迷いなく置かれています。</p><h2>光がすること</h2><p>表面を判断するとき、いちばん強く働いているのはアイスランドの光です。夏の光はほとんど去りません。冬は数時間だけ、低く横から差して消えます。低い角度の光は焼きものに容赦がありません。釉薬の上を舐めるように走り、うねりのひとつひとつ、壁がためらった場所、削り跡の線に釉薬が溜まったところを、残らず映し出します。</p><p>その光のもとで見ると、残るものが変わります。展示照明の下でしか成り立たない表面は、この工房から出ていきません。光が落ちるほど面白くなる表面——艶消しの釉が影を抱えたり、結晶が最後の光をつかまえたり——それが手元に残す仕事です。</p><h2>風景という色見本</h2><p>アイスランドを絵解きしないように気をつけています。ツノメドリを刷ることも、島の輪郭を釉薬で描くこともしません。風景は、色と肌合いの高さで作品に入ってきます。苔の緑、氷河の青みがかった灰、灰そのものの色、そして濡れた玄武岩の黒に近い深さ。ここに住んでいると、色として意識しなくなる色です。世界がそれでできている、というだけの色。</p><p>釉薬が口縁で薄く切れ、下の焦げた土が現れるとき、その様子は石の縁を見つけた地衣に近くなります。釉を掛けながら追いかけている比喩ではありません。あとから気づくもので、その器がこの土地のものだと教えてくれます。</p><h2>抑制は見た目ではなく、日々の稽古です</h2><p>日本の考えかたのうち、輸入するのがいちばん易しく、実践するのがいちばん難しいのが抑制です。足したくなります。もう一色、飾りひとつ、気の利いた細部。私たちの推敲は、ほとんどが引き算です。壁をより静かに、高台をより単純に、釉薬は三つの判断が交渉した結果ではなく、ひとつの判断をきちんと通したものに。</p><p>工房そのもの——どこにあり、仕事がどのように作られているか——については、<a href="https://studioesja.com/ja/about/">工房について</a>のページに書いています。この考えかたから生まれた器は<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>に、一度きりの試みは<a href="https://studioesja.com/ja/gallery/">ギャラリー</a>にあります。</p>]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>アイスランドと日本は、地図の上では遠く、感じかたでは近い。そのあいだで仕事をするのは様式ではなく、規律です。省くこと。</p><p>私たちの工房は、モスフェットルスバイルのアゥラフォスにあります。レイキャビクから二十分ほどのところです。作っているかたち——湯呑、茶碗、静かな筒形の器——は日本の伝統から来ています。その二つがどう結びつくのかと訊かれることがあります。正直に言えば、結びつきすぎるほどです。</p><p>どちらの文化も、省くことを美徳にしました。日本の焼きものは、作為のない表面、直さずに受け入れられた歪み、名乗らずに日々に仕える器を尊びます。アイスランドは同じ推敲を風景の規模でやっています。黒い砂、苔、玄武岩、天気。要素はごくわずかで、迷いなく置かれています。</p><h2>光がすること</h2><p>表面を判断するとき、いちばん強く働いているのはアイスランドの光です。夏の光はほとんど去りません。冬は数時間だけ、低く横から差して消えます。低い角度の光は焼きものに容赦がありません。釉薬の上を舐めるように走り、うねりのひとつひとつ、壁がためらった場所、削り跡の線に釉薬が溜まったところを、残らず映し出します。</p><p>その光のもとで見ると、残るものが変わります。展示照明の下でしか成り立たない表面は、この工房から出ていきません。光が落ちるほど面白くなる表面——艶消しの釉が影を抱えたり、結晶が最後の光をつかまえたり——それが手元に残す仕事です。</p><h2>風景という色見本</h2><p>アイスランドを絵解きしないように気をつけています。ツノメドリを刷ることも、島の輪郭を釉薬で描くこともしません。風景は、色と肌合いの高さで作品に入ってきます。苔の緑、氷河の青みがかった灰、灰そのものの色、そして濡れた玄武岩の黒に近い深さ。ここに住んでいると、色として意識しなくなる色です。世界がそれでできている、というだけの色。</p><p>釉薬が口縁で薄く切れ、下の焦げた土が現れるとき、その様子は石の縁を見つけた地衣に近くなります。釉を掛けながら追いかけている比喩ではありません。あとから気づくもので、その器がこの土地のものだと教えてくれます。</p><h2>抑制は見た目ではなく、日々の稽古です</h2><p>日本の考えかたのうち、輸入するのがいちばん易しく、実践するのがいちばん難しいのが抑制です。足したくなります。もう一色、飾りひとつ、気の利いた細部。私たちの推敲は、ほとんどが引き算です。壁をより静かに、高台をより単純に、釉薬は三つの判断が交渉した結果ではなく、ひとつの判断をきちんと通したものに。</p><p>工房そのもの——どこにあり、仕事がどのように作られているか——については、<a href="https://studioesja.com/ja/about/">工房について</a>のページに書いています。この考えかたから生まれた器は<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>に、一度きりの試みは<a href="https://studioesja.com/ja/gallery/">ギャラリー</a>にあります。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>手作りの器が手になじむ理由</title>
      <link>https://studioesja.com/ja/journal/what-makes-a-handmade-cup-feel-good-in-the-hand/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://studioesja.com/ja/journal/what-makes-a-handmade-cup-feel-good-in-the-hand/</guid>
      <pubDate>Fri, 12 Jun 2026 12:00:00 GMT</pubDate>
      <dc:creator>Studio Esja</dc:creator>
      <description><![CDATA[<p>器の良し悪しは、手に取って一秒で決まります。言葉になるより先に。理由はどれも物理的なものです。重さ、釣り合い、壁、口縁、表面。</p><p>なぜこの器はしっくりきて、あの器はこないのか。説明できる人はほとんどいませんが、目を閉じていても違いはわかります。判断は目ではなく手で起き、しかも速い。作り手としての私たちの仕事のほとんどは、感じられるけれど意識して見られることのない事柄についてです。</p><p>それは五つあります。重さ、釣り合い、壁の厚み、口縁、そして表面です。</p><h2>重さと釣り合い</h2><p>器は、見た目どおりの重さであるべきです。手が予想したものと違うものが返ってくると、その器は間違って感じられます。軽すぎれば安っぽく、うつろに。重すぎれば鈍く。炻器にはもともと程よい密度があり、ここで助けになります。重荷にならずに、素材そのものに存在感があるのです。</p><p>総重量と同じくらい、釣り合いが効きます。底が厚く上の壁が薄い器は、座りたがっているように感じられます。重さはかたち全体に配られているべきで、それは轆轤の上で半分、<a href="https://studioesja.com/ja/journal/trimming-a-ceramic-bowl-why-the-foot-matters/">削り</a>で半分決まります。釣り合いが取れているとき、器は指のあいだでほとんど浮いているように感じられます。</p><h2>壁</h2><p>壁の厚みは二つのことを決めます。唇に当たる感触と、熱の伝わりかたです。壁の薄い磁器の器は熱をそのまま伝えます。端正ですが、こちらに緊張を強います。厚みのある炻器の壁は熱を押しとどめるので、中身が熱いうちから手に持てます。湯呑のような把手のないかたちでは、これは細部ではなく、設計そのものです。</p><p>壁はまた、均一であるべきです。むらのある壁は、器が動いていなくても手のなかで落ち着きません。均一さは挽きから来ます。壁をゆっくり引き上げること、最後の一引きを急がないことです。</p><h2>口縁</h2><p>口縁は器のなかで唯一口に触れる部分で、飲む経験のほとんどをここが決めます。わずかに外へ返った口縁は、中身を舌の上へ流します。まっすぐな口縁は、器をより深く傾けさせます。鋭すぎる口縁は、釉薬がどれほど美しくても不快です。</p><p>私たちは口縁をやわらかく仕上げます。丸みを持たせ、軽く締め、目ではなく指で確かめます。轆轤の上で最後にすることであり、飲むときあなたが最初に気づくところです。</p><h2>表面</h2><p>最後に釉薬です。艶のある釉は濡れて、速く感じられます。艶消しの釉は乾いて、静かに感じられます。結晶釉の表面には、親指がひとりでに見つける小さな起伏があります。釉が縁を越えて薄くなるところでは土が透け、器の途中で肌合いが変わります。<a href="https://studioesja.com/ja/journal/how-glaze-changes-the-character-of-a-cup/">釉薬が器の性格を変える</a>というのは、色だけの話ではないのです。</p><p>こうした判断はどれも商品写真には写りません。それが手仕事の器の、声の小さな言い分です。まず手のために作られている、ということ。いま手にとれる一点物は<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>に、長く使うための習慣は<a href="https://studioesja.com/ja/care-guide/">お手入れ</a>にまとめてあります。</p>]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>器の良し悪しは、手に取って一秒で決まります。言葉になるより先に。理由はどれも物理的なものです。重さ、釣り合い、壁、口縁、表面。</p><p>なぜこの器はしっくりきて、あの器はこないのか。説明できる人はほとんどいませんが、目を閉じていても違いはわかります。判断は目ではなく手で起き、しかも速い。作り手としての私たちの仕事のほとんどは、感じられるけれど意識して見られることのない事柄についてです。</p><p>それは五つあります。重さ、釣り合い、壁の厚み、口縁、そして表面です。</p><h2>重さと釣り合い</h2><p>器は、見た目どおりの重さであるべきです。手が予想したものと違うものが返ってくると、その器は間違って感じられます。軽すぎれば安っぽく、うつろに。重すぎれば鈍く。炻器にはもともと程よい密度があり、ここで助けになります。重荷にならずに、素材そのものに存在感があるのです。</p><p>総重量と同じくらい、釣り合いが効きます。底が厚く上の壁が薄い器は、座りたがっているように感じられます。重さはかたち全体に配られているべきで、それは轆轤の上で半分、<a href="https://studioesja.com/ja/journal/trimming-a-ceramic-bowl-why-the-foot-matters/">削り</a>で半分決まります。釣り合いが取れているとき、器は指のあいだでほとんど浮いているように感じられます。</p><h2>壁</h2><p>壁の厚みは二つのことを決めます。唇に当たる感触と、熱の伝わりかたです。壁の薄い磁器の器は熱をそのまま伝えます。端正ですが、こちらに緊張を強います。厚みのある炻器の壁は熱を押しとどめるので、中身が熱いうちから手に持てます。湯呑のような把手のないかたちでは、これは細部ではなく、設計そのものです。</p><p>壁はまた、均一であるべきです。むらのある壁は、器が動いていなくても手のなかで落ち着きません。均一さは挽きから来ます。壁をゆっくり引き上げること、最後の一引きを急がないことです。</p><h2>口縁</h2><p>口縁は器のなかで唯一口に触れる部分で、飲む経験のほとんどをここが決めます。わずかに外へ返った口縁は、中身を舌の上へ流します。まっすぐな口縁は、器をより深く傾けさせます。鋭すぎる口縁は、釉薬がどれほど美しくても不快です。</p><p>私たちは口縁をやわらかく仕上げます。丸みを持たせ、軽く締め、目ではなく指で確かめます。轆轤の上で最後にすることであり、飲むときあなたが最初に気づくところです。</p><h2>表面</h2><p>最後に釉薬です。艶のある釉は濡れて、速く感じられます。艶消しの釉は乾いて、静かに感じられます。結晶釉の表面には、親指がひとりでに見つける小さな起伏があります。釉が縁を越えて薄くなるところでは土が透け、器の途中で肌合いが変わります。<a href="https://studioesja.com/ja/journal/how-glaze-changes-the-character-of-a-cup/">釉薬が器の性格を変える</a>というのは、色だけの話ではないのです。</p><p>こうした判断はどれも商品写真には写りません。それが手仕事の器の、声の小さな言い分です。まず手のために作られている、ということ。いま手にとれる一点物は<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>に、長く使うための習慣は<a href="https://studioesja.com/ja/care-guide/">お手入れ</a>にまとめてあります。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>鉢を削る — 高台がなぜ大事なのか</title>
      <link>https://studioesja.com/ja/journal/trimming-a-ceramic-bowl-why-the-foot-matters/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://studioesja.com/ja/journal/trimming-a-ceramic-bowl-why-the-foot-matters/</guid>
      <pubDate>Tue, 09 Jun 2026 12:00:00 GMT</pubDate>
      <dc:creator>Studio Esja</dc:creator>
      <description><![CDATA[<p>手作りの鉢をひっくり返してみてください。素地のまま立っている輪——高台——に、作り手の正直さが出ます。なぜ、どう削るのか。</p><p>鉢を見るとき、多くの人は内側と釉薬を見ます。作り手は、まずひっくり返します。器が立っている、削り出された土の輪——高台——には、その人の仕事のしかたが読めます。誰も見ないはずの部分であり、だからこそ大事なのです。</p><p>削りは半乾きの段階で行います。土がかたちを保つ程度に締まり、それでいて硬いチーズのように気持ちよく切れる頃合いです。鉢を逆さにして轆轤の芯に据え、やわらかい土の塊で留め、挽くときに底へ残しておいた余分を金属の鉋で削り落とします。</p><h2>削りが実際にしていること</h2><p>轆轤から降りた鉢の底は、わざと厚く重く残してあります。その蓄えが、高台になる土です。削りは三つのことを同時にします。器のかたちにふさわしい重さまで落とすこと、外側の曲線を卓に着くところまで続かせること、そして高台そのものを削り出すことです。</p><p>鉢を持ち上げたとき、判断より先に感じるのは重さです。削っていない鉢、あるいは削りの下手な鉢は底が重く、釉薬の線でかたちが終わり、その下はただの材料のように感じられます。きちんと削られた鉢は、ひとつづきの考えのように感じられます。</p><h2>高台</h2><p>高台は鉢を卓からわずかに持ち上げます。この小さな浮きは実用でもあり——釉の掛かったかたちが安定して座り、がたつかない——同時に器の性格を変えます。底全体で座る鉢は、据えられたように見えます。高台に立つ鉢は、自分から差し出しているように見えます。</p><p>高台の内側は素地のままにします。釉薬があれば、器は棚板に熔け着いてしまうからです。その素地の円は、仕上がった器で土そのものに触れられる唯一の場所です。色、肌合い、炻器の粒立ち。私たちの器では、そこに削りの螺旋がそのまま残っていることが多いはずです。鉋が土の上を通った記録であり、それを砥いで消す理由が見当たらないからです。</p><h2>高台を読む</h2><p>刃の跡がきれいに残った、きりりとした高台は、迷いなく削られたことを語ります。こねくり回した高台は、ためらいを語ります。機械のように平らで寸分違わない底は、たいてい工場を語ります。神秘的なことは何もありません。削りはごまかせず、あとから直せない、それだけのことです。輪はいちど削れば、それきりです。</p><p>手仕事の器を買うとき、底に目をやる価値があるのはそのためです。<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>の一点ずつを個別に撮影し、個別に書いているのも同じ理由です。高台は包みではなく、器の一部だからです。そこから先の工程については<a href="https://studioesja.com/ja/journal/from-clay-to-cup-making-a-small-stoneware-piece/">土から器になるまで</a>をどうぞ。</p>]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>手作りの鉢をひっくり返してみてください。素地のまま立っている輪——高台——に、作り手の正直さが出ます。なぜ、どう削るのか。</p><p>鉢を見るとき、多くの人は内側と釉薬を見ます。作り手は、まずひっくり返します。器が立っている、削り出された土の輪——高台——には、その人の仕事のしかたが読めます。誰も見ないはずの部分であり、だからこそ大事なのです。</p><p>削りは半乾きの段階で行います。土がかたちを保つ程度に締まり、それでいて硬いチーズのように気持ちよく切れる頃合いです。鉢を逆さにして轆轤の芯に据え、やわらかい土の塊で留め、挽くときに底へ残しておいた余分を金属の鉋で削り落とします。</p><h2>削りが実際にしていること</h2><p>轆轤から降りた鉢の底は、わざと厚く重く残してあります。その蓄えが、高台になる土です。削りは三つのことを同時にします。器のかたちにふさわしい重さまで落とすこと、外側の曲線を卓に着くところまで続かせること、そして高台そのものを削り出すことです。</p><p>鉢を持ち上げたとき、判断より先に感じるのは重さです。削っていない鉢、あるいは削りの下手な鉢は底が重く、釉薬の線でかたちが終わり、その下はただの材料のように感じられます。きちんと削られた鉢は、ひとつづきの考えのように感じられます。</p><h2>高台</h2><p>高台は鉢を卓からわずかに持ち上げます。この小さな浮きは実用でもあり——釉の掛かったかたちが安定して座り、がたつかない——同時に器の性格を変えます。底全体で座る鉢は、据えられたように見えます。高台に立つ鉢は、自分から差し出しているように見えます。</p><p>高台の内側は素地のままにします。釉薬があれば、器は棚板に熔け着いてしまうからです。その素地の円は、仕上がった器で土そのものに触れられる唯一の場所です。色、肌合い、炻器の粒立ち。私たちの器では、そこに削りの螺旋がそのまま残っていることが多いはずです。鉋が土の上を通った記録であり、それを砥いで消す理由が見当たらないからです。</p><h2>高台を読む</h2><p>刃の跡がきれいに残った、きりりとした高台は、迷いなく削られたことを語ります。こねくり回した高台は、ためらいを語ります。機械のように平らで寸分違わない底は、たいてい工場を語ります。神秘的なことは何もありません。削りはごまかせず、あとから直せない、それだけのことです。輪はいちど削れば、それきりです。</p><p>手仕事の器を買うとき、底に目をやる価値があるのはそのためです。<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>の一点ずつを個別に撮影し、個別に書いているのも同じ理由です。高台は包みではなく、器の一部だからです。そこから先の工程については<a href="https://studioesja.com/ja/journal/from-clay-to-cup-making-a-small-stoneware-piece/">土から器になるまで</a>をどうぞ。</p>]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>手仕事の湯呑が挽かれるまで</title>
      <link>https://studioesja.com/ja/journal/how-a-handmade-yunomi-cup-is-thrown/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://studioesja.com/ja/journal/how-a-handmade-yunomi-cup-is-thrown/</guid>
      <pubDate>Fri, 05 Jun 2026 12:00:00 GMT</pubDate>
      <dc:creator>Studio Esja</dc:creator>
      <description><![CDATA[<p>湯呑は把手のない、背の高い茶の器です。ひと塊の炻器の土が両手におさまるかたちになるまで、轆轤の上で何が起きているか。</p><p>湯呑は、日々のお茶のために日本で育ってきたかたちです。把手のない、背の高い器。作り手にとっては、これほど言い訳のきかない形もありません。隠れる場所がないからです。把手も蓋もなく、壁そのものから目をそらさせる装飾もありません。重さが合っていなければ、手に取った最初の一瞬でわかってしまいます。</p><p>アイスランドの工房では、湯呑を炻器の土から一点ずつ挽いています。はじまりは秤にかけた土の塊で、焼き上がりの背丈をどれくらいにするかによって、たいてい300〜400グラムのあいだです。土は乾くあいだに縮み、窯のなかでもう一度縮みます。ですから轆轤の上のかたちは、最後に手に持つ器よりつねに大きいのです。</p><h2>土の芯を出す</h2><p>すべては芯出しから始まります。土の塊を轆轤の天板に押しつけ、両手で一定の力をかけながら、回る面の中心へ追い込んでいきます。芯の外れた土は振れます。この段階の振れは、あとで口縁の歪みとなって出てきます。芯出しは外から見れば静かな作業です。実際には仕事のなかでいちばん体を使うところで、土は押し返してきます。それが折れるまで、こちらは動かさずに抑えつづけます。</p><p>芯が出たことは、手のひらの下で土が動かなくなることでわかります。轆轤は回っているのに、表面は止まっているように感じられます。器が本当に始まるのは、そこからです。</p><h2>穴を開け、壁を引き上げる</h2><p>芯の出た土に、親指か指先で穴を開けます。このとき、あとの削りのぶんだけ底に厚みを残しておきます。それから壁を引き上げます。指を筒の内と外に当て、土をはさんで向かい合わせ、ゆっくりと上へ動かします。一度引くごとに壁は薄くなり、高くなります。湯呑なら三回か四回です。</p><p>寸法よりも、釣り合いのほうが大事です。湯呑は径より背が高い器ですが、その差はわずかです。卓の上に落ち着いて座り、それでいて手のなかでは細く感じられるくらい。口縁は指先か、なめし革の細片で仕上げます。唇に当たったときやわらかであってほしいからです。硬く鋭い口縁は、ほかがどれだけよくても器を台無しにします。</p><h2>把手をつけない理由</h2><p>把手のない器は、飲むものの温度に気づくことを求めます。持てないほど熱ければ、飲むにも熱すぎる。このかたちの背後にあるのはその単純な理屈で、それが器の使われかたを変えます。両手で持ち、少しゆっくりになり、注意を向けることになるのです。</p><p>同時に、壁の厚みが正しくなければならないということでもあります。薄すぎれば指を焼き、厚すぎれば手のなかで死んでしまいます。その釣り合いを取ることが、このかたちの技術のほとんどです。そのことは<a href="https://studioesja.com/ja/journal/what-makes-a-handmade-cup-feel-good-in-the-hand/">手作りの器が手になじむ理由</a>に詳しく書きました。</p><h2>轆轤を降りてから</h2><p>挽き上がった器は半乾きまで乾かして削り、完全に乾かしてから素焼きし、釉薬を掛け、炻器の温度でもう一度焼きます。どの段階でも器は変わり、あるいは失われます。<a href="https://studioesja.com/ja/journal/why-handmade-ceramics-are-never-identical/">手作りの器に同じものが二つとない</a>のは、これもひとつの理由です。</p><p>工房で仕上がった湯呑は、支度が整い次第<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>に並びます。一点ずつ撮影しているのは、どれもそれ自身の器であって、原型の複製ではないからです。</p>]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>湯呑は把手のない、背の高い茶の器です。ひと塊の炻器の土が両手におさまるかたちになるまで、轆轤の上で何が起きているか。</p><p>湯呑は、日々のお茶のために日本で育ってきたかたちです。把手のない、背の高い器。作り手にとっては、これほど言い訳のきかない形もありません。隠れる場所がないからです。把手も蓋もなく、壁そのものから目をそらさせる装飾もありません。重さが合っていなければ、手に取った最初の一瞬でわかってしまいます。</p><p>アイスランドの工房では、湯呑を炻器の土から一点ずつ挽いています。はじまりは秤にかけた土の塊で、焼き上がりの背丈をどれくらいにするかによって、たいてい300〜400グラムのあいだです。土は乾くあいだに縮み、窯のなかでもう一度縮みます。ですから轆轤の上のかたちは、最後に手に持つ器よりつねに大きいのです。</p><h2>土の芯を出す</h2><p>すべては芯出しから始まります。土の塊を轆轤の天板に押しつけ、両手で一定の力をかけながら、回る面の中心へ追い込んでいきます。芯の外れた土は振れます。この段階の振れは、あとで口縁の歪みとなって出てきます。芯出しは外から見れば静かな作業です。実際には仕事のなかでいちばん体を使うところで、土は押し返してきます。それが折れるまで、こちらは動かさずに抑えつづけます。</p><p>芯が出たことは、手のひらの下で土が動かなくなることでわかります。轆轤は回っているのに、表面は止まっているように感じられます。器が本当に始まるのは、そこからです。</p><h2>穴を開け、壁を引き上げる</h2><p>芯の出た土に、親指か指先で穴を開けます。このとき、あとの削りのぶんだけ底に厚みを残しておきます。それから壁を引き上げます。指を筒の内と外に当て、土をはさんで向かい合わせ、ゆっくりと上へ動かします。一度引くごとに壁は薄くなり、高くなります。湯呑なら三回か四回です。</p><p>寸法よりも、釣り合いのほうが大事です。湯呑は径より背が高い器ですが、その差はわずかです。卓の上に落ち着いて座り、それでいて手のなかでは細く感じられるくらい。口縁は指先か、なめし革の細片で仕上げます。唇に当たったときやわらかであってほしいからです。硬く鋭い口縁は、ほかがどれだけよくても器を台無しにします。</p><h2>把手をつけない理由</h2><p>把手のない器は、飲むものの温度に気づくことを求めます。持てないほど熱ければ、飲むにも熱すぎる。このかたちの背後にあるのはその単純な理屈で、それが器の使われかたを変えます。両手で持ち、少しゆっくりになり、注意を向けることになるのです。</p><p>同時に、壁の厚みが正しくなければならないということでもあります。薄すぎれば指を焼き、厚すぎれば手のなかで死んでしまいます。その釣り合いを取ることが、このかたちの技術のほとんどです。そのことは<a href="https://studioesja.com/ja/journal/what-makes-a-handmade-cup-feel-good-in-the-hand/">手作りの器が手になじむ理由</a>に詳しく書きました。</p><h2>轆轤を降りてから</h2><p>挽き上がった器は半乾きまで乾かして削り、完全に乾かしてから素焼きし、釉薬を掛け、炻器の温度でもう一度焼きます。どの段階でも器は変わり、あるいは失われます。<a href="https://studioesja.com/ja/journal/why-handmade-ceramics-are-never-identical/">手作りの器に同じものが二つとない</a>のは、これもひとつの理由です。</p><p>工房で仕上がった湯呑は、支度が整い次第<a href="https://studioesja.com/ja/shop/">現在の作品</a>に並びます。一点ずつ撮影しているのは、どれもそれ自身の器であって、原型の複製ではないからです。</p>]]></content:encoded>
    </item>
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